3月5日(土)21時から新五千円札の顔女子教育の先駆者である津田梅子の青春を広瀬すずが演じます。
その今回のドラマを踏まえ、「津田梅子がお札になった理由は?」「津田梅子ってなにをした人?」など気になったのでまとめていきます。
本記事でわかること
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津田梅子 お札になった理由
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津田梅子 の功績がわかる
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津田梅子 が何をしたのかわかる
津田梅子 お札になった理由
新しいお札の発行を管理している財務省のHPを確認したところ、
新しい紙幣の肖像になる渋沢栄一氏、津田梅子氏、北里柴三郎氏は、それぞれの分野で傑出した業績を残すとともに、長い時を経た現在でも私たちが課題としている新たな産業の育成、女性活躍、科学の発展といった面からも日本の近代化をリードし、大きく貢献した方々です。三者ともに、日々の生活に欠かせず、私たちが毎日のように手に取り、目にする紙幣の肖像としてふさわしいと考えています。出典:財務省HP
となっており、日本が長年抱えている女性活躍の礎を作った功労者として、毎日の生活で目にするのにふさわしい人物と考えられたため選ばれました。
なお、近年の改刷においては、
偽造防止の観点から、なるべく精密な写真を入手できること、 肖像彫刻の観点からみて、品格のある紙幣にふさわしい肖像であること 肖像の人物が国民各層に広く知られており、その業績が広く認められていることといった観点を踏まえて、明治以降の人物から採用しています。出典:財務省HP
とのことで、正装をして、しっかりと威厳がある肖像画があることが新お札になる条件でもあるようですね!!
出典:明治ガイド
津田梅子は何をした人なのか?
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日本人女性初のアメリカに留学生(当時最年少の6歳)
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伊藤博文宅で通訳や英語指導のため家庭教師として働く
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女子英学塾(現在の津田塾大学)を設立
津田梅子は、1864年に江戸で生まれた女性教育家です。明治時代と大正時代に当時はまだまだ後進的だった女性の教育について活躍された人物です。わずか満6歳にして岩倉遣外使節団とともにアメリカに留学。この使節団には初代総理大臣の伊藤博文も同行していました。
この使節団には津田梅子を含む5人の女性が参加していましたが、日本女性初の留学生としては最年少としても有名です。
アメリカでの留学経験を活かし、日本の社会に貢献したいと決意を抱いた津田梅子。しかし帰国後に見た、アメリカと日本における女性への扱い方の差に大きく落胆します。
長く留学していたため日本的風習にも不慣れで、日本の思想にも合わなかっため女性年齢の適正期であっても結婚はせず、働きに出かけようとします。しかし日本人女性が働くには当時の環境はあまりに受け入れ難く難航。そんな時、使節団で一緒だった伊藤博文と再会し、伊藤博文宅で家庭教師や通訳として働くことに。
そして1889年、津田梅子は西欧の思想をさらに教えるためにも、より深く西欧の思想を理解する必要を感じ、再びアメリカへの留学を決意します。
帰国した津田梅子は華族女学校の教授として再び教壇に立ち、女子高等師範学校教授も兼任します。それだけではなく女学生を自宅で預かり、教育も行っていたようです。そこから、女性教育へと熱意を注ぐ津田梅子は国が設置した教育機関とは異なる「私塾」を設立したいとも考え、35歳になった津田梅子は、私塾の設立のために華族女学校教授を辞任します。
その後、幼少期の留学でともにアメリカへ渡った大川捨松や瓜生繁子、二度目の留学でお世話になったモリス婦人など多くの人に協力してもらいながら、ついに念願だった私塾「女子英学塾(津田塾大学の前身)」を設立しました。
まとめ
2024年度の上半期(4~9月)を目途に、約20年ぶりに新紙幣に変更されます。もう少ししたら津田さんが5000札の顔として日頃目にされるようになります。日々使っているお金に写っている人がどんなことをしているのか知っているだけでも日々の買い物が楽しくなりませんか?
ぜひ、津田さんがしたことを正しく知っておきましょう。