2022年8月8日月曜日23:45〜放送の「激レアさんを連れてきた。」で、山崎那美(ヤマザキナミ)さんが紹介されました。山崎那美(ヤマザキナミ)さんは、売れっ子キャバクラ嬢から一転、土木作業員として真逆の仕事を経験している異例の経歴の持ち主です。
そこで今回は山崎なみさんの異例の経歴をまとめていきます。
山崎那美さんのプロフィール23歳のシングルマザー

まずは山崎那美さんの経歴・プロフィールをまとめていきます。まず、見た目ですが美人ですね!間違いない(笑)白Tを着こなすこの1枚だけを見ると作業服専門店の店長とはまず思わないでしょう。
さて、プロフィールに戻っていきますが、ナミさんのプロフィールは以下こんな感じです。
名前:山崎那美(やまざきなみ)
生年月日: 1999年
年齢:23歳
出身地: 長野県下條村(しもじょうむら)
出身校:飯田女子高等学校卒業
家 族:子供(男の子1人)シングルマザー
職 業:作業服専門店「WAVE」代表(令和3年6月OPEN)
飯田女子高等学校までほぼフルマラソン!?
さて、だいぶ話が逸れてしまいましたが、話を戻して山崎那美さんの高校についてみていきます。ナミさんは飯田女子高等学校に通っていたという情報がわかっています。最近ではチアリーディングが全国大会部門で2位になっているなど部活動もさかんな学校です。


チアリーディングクラブ 全国大会部門2位!
ちなみに、山崎那美さんの地元下條村からだと車でも最短約30分かかる距離だったので、毎日の通学は親御さんの協力があって送り迎えをしてもらっていたか、頑張って毎日20Km近い距離を移動していたのでしょう。

往復で40Kmと考えると毎日フルマラソンの距離を移動していたことになりますね。親御さんの送り迎えがないときつい距離ですね。
山崎那美さんの出身地はタレントの峰竜太と同じ村
長野県下條村は長野県の最南端である下伊那郡のほぼ中央に位置する村で、山林が約7割を占めており、周りを自然で囲まれた環境です。
なみさんの出身地は長野県下條村ということで下條村出身でタレントの峰竜太さんが観光大使を務めている村になります。峰竜太さんが観光大使に任命されたのは2013年ごろなので、山崎那美さんが14歳の時に就任したことになりますね。

下條村出身でタレントの峰竜太さんが、長野県初の観光大使に任命されました。

小さくてもきらりと光る村
峰竜太氏の故郷、下條歌舞伎と
新田辛味大根で知られています。
ちなみに、峰竜太さんが行っている「下條歌舞伎」」についてですが、下條歌舞伎は村の伝統芸能として300年近い歴史を持っている無形民俗文化財だそうです。
引用元:下條村観光協会
また「新田辛味大根」については、下條村親田地区で栽培される地大根で、蕪のような扁平の球形で、肉質は緻密、水分が少ないので貯蔵性に優れているのが特徴的な大根です。一般に大根と呼ばれる青首大根に比べ、辛味成分イソチオシアネートを4倍近く含んでいます。
子供時代から可愛かった経歴
長野県下條村出身の山崎那美さんは、小学生時代はギャル感は一切なく、清純派美少女といった見た目でした。将来なりたい仕事もギャル要素は含んでおらず自衛官になりたいと思っていたそうです。
自衛官になりたかった理由は、中学生の時に通学路で見た女性自衛官が赤ちゃんに微笑みかけるポスターを毎日見て、だんだん憧れを抱き「人の役に立つ」自衛官という仕事を目指したかったということで、めっちゃ素直ないい子だったことがわかります。

「人の役に立つ自衛官になりたい」そんな気持ちは高校に進学しても変わらず、高校卒業時に自衛官の試験を受験しましたが、長年抱いてきた夢は残念ながら不合格となり、実現することができませんでした。

長年抱いていた夢が断たれてショックを受けた山崎那美さんは、悔しさも手伝って「折角の人生の分岐点だから」と一気に真逆とも言える世界に飛び込みます。
異例の経歴がキャバクラからはじまった

ドレスを着て髪の毛も染めて巻いてネイルをできるような仕事をしたいと思いキャバクラを選びました!
女磨きとか綺麗な人がいるイメージがあって、それになりたかった。
綺麗な人が働いているイメージがあるキャバクラ店で働くことを決意すると、駒ヶ根市のキャバクラで働き始めました。ここから山崎那美さんの異例の経歴がはじまっていきます。

華やかな世界に憧れて駒ケ根市内のキャバクラで四年間働いていました。勤めたキャバクラ店では、接客の難しさ、人と話すことの楽しさを学んだそうです。

父親と同じくらいの年齢、またはそれ以上の男性客が相手なので、最初は上手くしゃべれませんでしたが、次第に相手のことを考えながら会話できるようになり、その経験が今回の起業の際に役立ったそうです。

18歳で結婚。出産するも2年で離婚シングルマザーに
美人な外見もあり、売れっ子キャバ嬢になった山崎那美さんですが、18歳で結婚して長男の琉司くんを授かったものの、性格や金銭感覚の違いから結婚後2年で離婚。シングルマザーに。

シングルマザーとして生きていくことを決意し、一時休んでいたお店に戻ることにしました。キャバクラに戻ることにした理由は「日中琉司と過ごすことができると思ったから」ということで、琉司くんをすごく大切にし、琉司くんのことを「自分の宝」と言って誰にも渡したくない思いがあるということで、自分で琉司くんを育てていくためにキャバクラに戻ることを決断しました。

しかし、休んでいたお店で再び働き始めましたが、復職した2020年はコロナ禍に入った直後で、お店も休業が続き、収入が大幅に減ってしまいました。なみさんは「お金の面でもうどうしよう!?」となっていた時、常連客だった親方から助け舟を出してもらいます。
またまた真逆の道へ!土木作業員の経歴スタート
常連客だった親方の誘いで土木作業員として太陽光発電の架台組み立て担当として働き始めることになりました。「人生は一度きり」というので、いろんなことを経験したかったナミさんにとっては渡りに船なお誘いだったんですね。

男性に交じっての仕事は、体力的にもきつく、仕事が終わった後はいつも死んだように寝るってしまい、育児にも支障をきたすレベルでしんどかったようです。やはり業界的に男性割合が多いのは体力的な面もあるようですね。

結果、働き始めて半年で辞めてしまい、土木作業員としての経歴はここまでとなりました。しかし、土木作業員を経験したことが次への経歴への扉を開くきっかけとなりました。
現在は作業服専門店「WAVE」の代表取締役としてオープン半年で売上1000万

山崎那美さんは現場で、親方や先輩の作業服姿を見てすごいかっこいいと思い、そう言った職人さんたちのおしゃれをサポートしたいと思うようになります。
そして、「オシャレな作業着を販売したら売れるんじゃないか?」と思った山崎那美さんは、貯金を取り崩し、下伊那郡高森町の若手起業家を支援する制度を利用して半年後の2021年6月に作業服専門店『WAVE』をオープンしました。

オープン後はメーカーさんとお客さんを繋ぐ架け橋として、全国のメーカーからこだわりの製品を仕入れています。派手目な製品が評判となり圏外からもお客さんが通うようになりました。その結果、わずか半年間で1000万円稼ぐに至りました。
たしかに商品を見るとカラフルなヘルメットや作業靴が置いてあり、他の作業服専門店では見ないようなこだわりのラインナップが見て取れます。


WAVEの店名の由来は公式には発見することができませんでしたが、山崎那美=ナミさん=波=WAVE(英語で波)ではないかと考えられます。波をモチーフにした企業ロゴをしおうしていることからもまず間違い無いでしょう。

作業服専門店WAVEがあるのは波が立ちそうな天竜川沿いの立地になります。ナミさんの地元下條村からは少し離れていますが、長野県で作業服店も出店しています。県外からのお客さんも多いことから東京、大阪など首都圏にも進出すれば売上拡大も間違いないですね。
店名:作業服安全靴工具専門店 WAVE 飯田高森店
アクセス:JR市田駅から歩いて8分。
飯田市内より、国道153号線を長野松本方面に向かって車で約10分。
国道東側の高森町信金の北隣。
営業時間:10時〜20時
定休日:土曜日
駐車場:有り。8台停めれます。
引用元:WAVE HP
【追記】作業服専門店「WAVE」の口コミ
日々新しいチャレンジ、発信をされているお店です。お若いスタッフさんが元気に営業されており、珍しいメーカー品も扱っているので毎回行くのが楽しみです!

店員はすごく美人で話しやすくて、店の雰囲気も最高です!!色々な作業ブランドも取り扱ってるので是非!!

とても素敵で綺麗なお店です!作業服屋さんとは思えないおしゃれな空間です!

店長さんも話しやすくとてもいい印象でした、WORKMANとかにはないお洒落な作業着安全具があり見てるだけでワクワクしてきます、ASICSの安全靴は実物を見て買える店が少ないので嬉しいですがサイズの品揃えが少なく取り寄せになるそうで、自宅から遠いのでこれからは連絡して希望のサイズがない場合は取り寄せてもらってから店に行こうと思います。

初めて行かして頂きましたがお店の雰囲気がよくとてもオシャレでアットホームなお店だと思いました。ただ残念なのは定休日以外でのお休みがあるみたいで行った時にやってない時が数回ありました。SNSや入り口で事前に告知していただけたらもっといいかなと思いました。
